毎日1本締め切りが来る生活にあこがれていましたが、実際にそうなってみると生半可なライフハックではこなしきれず焦っているFP山崎(@yam_syun)です。もっと作業効率化の工夫をしなければ。

さて、投資とココロの関係を考える本連載「マネーハック心理学」もとうとう20回目を迎えました。今回考えてみたいのは「投資と社会貢献」です。投資は個人にとって金儲けの手段に過ぎないという意見は半分正しく、半分間違いです。

しかし、投資を社会貢献とだけ定義するのもまた危うさが残ります。ココロのバランスをどこに置くべきか、少し考えてみたいと思います。

社会貢献の気持ちがない投資は「投機」になる...が

株式投資や債券投資について、「社会貢献の要素がある」といえばたいていの人は疑問に思うことでしょう。それは金儲けの手段ではないのかと。

たしかに投資は金儲けの手段ですが、それだけではありません。もし、投資資金で債券や株式を購入して保有をすることになれば、それは社会の経済成長を支えることになるからです。

仮に、トヨタ自動車の株を1995年頃から保有したとします。トヨタがプリウスを発売したのが1997年ですが、初代期は年間に数万台しか売れなかったそうです。開発から販売にこぎ着けるまでの苦労とそのコストは莫大であり、資本の担い手がなければ成立しなかったでしょう。つまり、債券の購入者か株主が必要だったわけです。

紆余曲折はありましたが、プリウスは環境負荷の低減にも貢献し、トヨタを支える重要な車種に成長しました。つまり、世の中もよくし、トヨタという企業を成長させる力にもなったわけです。もちろんそのエンジン(いやガソリンか)となったのは投資資金です。

こうした企業の成長の果実は社会に向けられたり、会社だけが享受するわけではありません。債券であれば元利の支払いで、株主であれば配当と売却益で、投資をした個人の資産を増やすことができます。

つまり、投資は社会とつながり、社会をよくしていくことも含まれている先に資産増があるわけです。

こうした感覚を失うと、投資はただのマネーゲーム、つまり「投機」になってしまいます。デイトレーダーなどは企業の長期的な成長は関係なく株価の短期的値動きだけで儲けようとしています(それがダメというわけではありませんが)。

できれば「世の中もハッピーになり、私の懐も豊かになる」、つまりwin-winといきたいところです。しかし、長期投資すればそうなるほど簡単ではないのです。

社会貢献の気持ちはパフォーマンスを改善してくれない

私はセミナーなどで「投資はマネーゲームだけではない」と話すことが多いのですが、話に感動してくれた聴衆から、「投資を通じて世の中をよくしていくようがんばります!」と感想をもらうことがあります。

私の話術に感動してくれたのは喜ばしい反面、ちょっと困ることもあります。それは「気持ちが尊くても、投資のパフォーマンスが高まることは一切ない」からです。

世の中をよくしたいと思っても、個人の清らかな思いにボーナスポイントがつくことはありません。マネーゲームとして投じられる10万円も、社会貢献の思いが詰まった10万円も、マーケットではただの10万円であって差はありません。

社会貢献の気持ちは、パフォーマンスを引き上げる要素でないことに注意が必要です。むしろ危ないのは、そうした思いがあなたの投資判断を歪めてしまう恐れがあることです。

社会貢献の気持ちはカモにされやすい

社会をよくしたいという気持ちは、ときに金融機関のカモにされる恐れがあります。一時期、テーマ型の投資信託として「エコ・ファンド」がありました。これは、環境貢献型の企業を中心に投資を行う投資信託で、日経平均に採用されている企業リストやTOPIXに採用されている企業リストとは異なる企業リストを作成し、投資を行います。

もちろん、環境に意識の高い企業(リサイクル率が高いなど)が、収益も高いとなれば「世の中もよくなり、私も儲かる」ですが、コストはかかる割に売り上げで負けてしまえば、運用成績もいまいちということになってしまいます。これは実際によくあることで、単純にTOPIX連動の投資信託や日経平均株価に連動する投資信託を買っておいたほうが運用成績がよかったということになります。特定の企業名を挙げるまでもなく、企業業績と環境貢献の取り組みはイコールではないわけです。

また、手間暇が生じる分、運用のコストがかさみます。とあるエコファンドは購入時点で購入額の2.1%を別途支払う必要があり(購入時手数料)、運用期間中は年率1.575%の費用を運用の手数料として払います(信託報酬)。TOPIXと同じ値動きをするシンプルな投資信託なら購入時の手数料は無料(ノーロードという)、信託報酬は0.7%くらいが銀行の相場ですから、「割高商品」です。社会貢献タイプの投資商品であっても、金融機関が値引きすることはなく、手間賃は私たちが払わなければならないわけです。

結果として、投資に対する個人の志は高いのに、確実に儲けるのは金融機関ばかり、ということが起こってしまうわけです。

投資は「冷静と情熱のあいだ」で成り立つ

せっかく投資を行うのであれば、世の中もよくなり、自分の資産も成長するような感覚を持ってほしいと思います。しかし、私たちは社会貢献の志は「偏り(バイアス)」であることを常に心にとどめておくべきです。

行動ファイナンスにおいて、「偏り」は合理的投資判断の妨げです。偏りが存在しない投資行動はありえませんが、その判断の偏りが自分の投資結果にとってプラスなのかマイナスなのかは冷静に判断しなければなりません。

一方で、投資は冷静さだけでもうまくいきません。あまりに冷静すぎると、非合理的な価格の上昇が生じたとき、これはおかしいと受け入れることができず、うまく値上がり益をかっさらうことができません。相場は時々行きすぎることがありますが、それもまた投資だからです。

してみると、「冷静と情熱のあいだ」で投資を行うことがポイントになります。愛がない人生はつまらないが、愛に溺れてしまっては人生は狂ってしまいます。投資も同じで、冷静さと情熱のあいだに自分のお金を置くという感覚が大事です。

個人的には、投資に社会貢献の気持ちを持ち込むのはほどほどにして、社会貢献は寄付として切り分けてもいいのではないかな、と思います。普通の個人ほど、そのほうが感情をシンプルに整理できるかもしれません。

(山崎俊輔)

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