ノーベル物理学賞で日本人3人が受賞した。とっても嬉しいことだ。理系が苦手な自分にとっては、そもそも理系というだけで委縮してしまう。その物理学賞を3人もの日本人が取ったというだけでただただ尊敬する。青色発光ダイオードの発明は人類への素晴らしい貢献である。日本人は本当にすごいと思う。

 このノーベル賞騒動の中でどうにも納得がいかなかったのが、「憲法第9条を守ってきた日本人にノーベル平和賞を」という運動だ。この運動は一体何を意図しているのであろうか。

第9条を作ったのはアメリカ

 憲法第9条がなぜできたのか。護憲論者が言うように、「平和国家日本」を作るためでは全くない。誰でも知っているように、今の日本国憲法は当時の占領軍であるアメリカが作ったものだ。

 そのアメリカがなぜ憲法9条を日本の憲法に入れたのか。その理由は「マッカーサーノート」(1946年2月3日)に明瞭に書かれている。そこには次のようにある。

 「国の主権的権利としての戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。

 いかなる日本の陸海空軍も、決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない」

 要するに自衛戦争ですら日本には認めないと言うことである。ただ実際には、さすがに「自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する」という文言は入らなかった。理由は簡単である。あまりにも非現実的だからである。この判断をしたのは、マッカーサーの指揮を受け、現憲法制定の実質的指揮を執ったチャールズ・ルイス・ケーディスGHQ民生局課長・次長である。

 そのケーディスは、西修駒澤大学名誉教授に対し、「『自己の安全を保持するための手段としての戦争放棄』まで書き込むのは、非現実的と思い削除した」と語っている(『日本国憲法の誕生』西修著、河出書房新社)。